どうも、屋敷神を調べていると「わたしたちの郷土」に戻ってくる感じだったので、 ひぃひぃ言いながら上北沢の図書館に行き、また見てきました。
結果は大当たり。p94より
宗保は,九人の子供をもうけたが,男子五人のうち次男以下三人を分家させており三男忠光が、寛文十一年(一六七一)冬父の譲を嗣ぎ,上北沢村北境に居宅を作って新屋敷(あらやしき)と名付けたと正統系図伝にある。忠光の妻が阿佐谷の相沢喜兵衛寛○の娘である。忠光は寛文十二年(一六七二)二月初午日、新屋敷の地において稲荷神社を再び祭った。山谷稲荷が抱地内にあったので,この地の主となったことで祭祀を継承したという意味であろう。
つまりこういうことです。
- 山谷稲荷という純然たる稲荷が存在した
- 山谷稲荷は北沢八幡神社に合祀されたので、山谷稲荷そのものとしては現存しない
- この稲荷は、鈴木家のもともとの信仰ではない
- 稲荷信仰を継承したのは、既に稲荷神社のある土地を継承したからである
だから、以下の特徴を全て満たします。
- 高い確率で稲荷である
- 移動できない
- 土地に憑き、その土地を継承した者達が信仰を継承する
余談・迷彩屋敷神について §
実は桜上水で1つ発見しましたが、そこ分かったこと。
- 朱塗りの鳥居を欠いていると、色が地味で周囲に溶け込んで見落としやすい
屋敷神アイを発動してそういうものに注意しながら歩くと見つかるのであって、そうでないならかなり見落として素通りしていそう。
こういう目立たない屋敷神を迷彩屋敷神と呼ぶことにします。